「分かる」「分からせたい」への強い思い

昨日は授業研究会へ出かけてきました。

 

同年代の先生が行う,2年生の授業でした。

 

生徒たちは誠実,真摯に学習を行っていて,4月に異動して来たばかりという先生との関係も良好でした。

 

英語を使ったことばのやりとりを行い,印象がいいなあと思いながら観察をさせてもらいました。

 

教科書に取り上げられている活動を膨らませ,

 

「自分史エッセイをつくろう」

 

という活動を行っていました。

 

既習の現在時制と,学んだ過去時制の表現をうまく使って,

 

以前はしていたけど,今はしていないこと

 

以前はしていなかったけど,今はしていること

 

をインタビューしながら情報として集め,レポート化します。

 

Did you get up by yourself when you were an elementary school student?

Do you get up by yourself now?

 

のようにします。

 

とてもていねいな授業で,生徒たちが十分基本文型に慣れ親しんだ後でインタビューに移行しました。

 

ただ,1つだけ思ったことは,

 

もう1問でいいから,話を膨らませる発問ができたら・・・

 

ということでした。

 

T : Did you watch news on TV?

S : No, I don't.

T : Good. Do you watch TV now?

S : Yes, I do.

 

T : Do you watch dramas on TV now?

S : Yes, I do.

T : Good.

T : Oh, really? What drama do you watch? ( Do you like it? )

 

定型表現が分かる,という意味では練習の意味は大きいのですが,分かるようになった後で,コンテクストの中でそれらを使いこなせるようになるには,ことばとことばのやりとりだけでなく,そこに伝えたい,知りたい,という思いを乗せて,真正な情報の授受をする必要があると思うのです。

 

同期の指導主事が準備してきた資料にも,

 

単元の指導が終わった後で,

 

「言語や文化についての知識理解」がなされていた,という段階で指導が終わっていたのではいけない。言語材料が「(外国語)理解」されたか,「(外国語)表現」できるようになったか,を確かめる必要がある。

 

というようなことが書かれていました。

 

単元の指導計画の中で,これから自己表現活動を予定しているので,きっとそこで自分たちの歴史エッセイを書くんだなあ・・・とその後が楽しみになりました。

 

1観察者としては,本時が終わった後で,実際にこれらをどう運用して行くことになるのか,授業をもっと見たいなあと思うからです。

 

本時の中でも,そうした場面があったら・・・

 

 

 

と,考えると,自分もそうですし,仲間の多くの先生が,「分かる」「分からせたい」という思いを強く持っている一方で,「できる」「使える」というところまで高めようと思っても,なかなかできていないかもしれない・・・と感じます。

 

 

生徒と話していて・・・

 

Please tell me.

 

と語りかけ,メッセージのやりとりをしたいです。