cannot be elegant

日々,息をつく暇がないような,苦しい毎日が続きます。

 

山のような洗濯物や,食器と格闘すると,あくる日がやってくる時間になってしまいます。以前はそこからもがんばれたのですが,今は洗濯機が止まるのを待っている間に撃沈するばかりです。

 

同僚と話すと,夜は早くダウンをして,朝,というパターンもあるのですが,次の日の朝起きてそれらを処理する自信がなく・・・結局は夜更かしで,となります。

 

こんなことは誰もが同じ,なのでしょうが,傍から見ると,苦しそうに見えない,ところがすごいなあ・・・

 

みんな大人なのだなあ・・・と思います。

 

現在,勤務校では,次期研究をにらんで,主題の設定作業を続けています。

 

3年間を基本に,学校を挙げて取り組んでいくメインテーマになるので,新しいものをcreateしていくのは,本当に大変です。

 

係のはしくれとして,昨日は研究会の司会をしましたが,難しいトピックでみなが考え込むような時間帯も長く,ハンドリングに苦心しました。

 

難しい・・・

 

3年間の研究を終えたばかりですが,研究の成果として,子どもたちの自己肯定感の高まりが見られた一方で,多面的・多角的に,思慮深く考えることや,学んだことを実生活と結び付けていくことには課題が残りました。

 

その流れを受け,話題の中に,critical thinkingについての話も出てきました。「批判的思考力」と訳されることがあるのですが,「批判」と言うと,ある価値観を否定する,ようなニュアンスに取られがちです。

 

ここではそうした表層的な意味ではなく,物事を思慮深く考え,判断することや,多面的・多角的に見て吟味をするようなことを表しています。

 

勤務校だけではありませんが,

 

・ものごとの表面だけを捉えてしまう

 

・答えが導き出せると,分かったつもりになってしまうが,本当の意味がつかめていない

 

・自分だけの価値観で物事の是非を安易に判断してしまう

 

ようなことが,中学生(だけではないですね)の特性として上がってくるのではないでしょうか。

 

4時間近い議論を経ても,主題が確定せずに,次回に持ち越しになりましたが,現行でも,そして,次期学習指導要領でも,大事にされるであろう,「思考・判断・表現」と絡めつつ,その中でも「思考」の部分を再度深めていくことになりそうです。

 

思慮深く考える

 

物事の本質を見極める

 

そんな力を身につけさせていきたい・・・

 

と考える一方で,自分自身にその力が大きく欠けていると司会をしながら考えていました。

 

大先輩が,

 

「本質を見抜ける力があると,大人でも生活が楽になる,ぶれないので余計なことで悩まなかったり,疲れない」

 

と話していましたが,自分はまさにその逆で,日々ぶれぶれになっていて,毎日本当に疲れてしまうなあ・・・と思うのです。

 

たとえ何か,真であるものに迫ったように感じても,果たしてそれが真なのか,本当か?と考えてしまいます。

 

研究会を司会進行しつつ,キレのある発言や,ビジョンをもった語りをする同僚を見ながら,

 

どうしてあんなふうになれるのだろう・・・

 

と,ついつい羨望のまなざしで見てしまう小さな自分・・・

 

その人が人に見えないところで,愚直に学び,努力をしていることをついつい忘れてしまい,単に感心してしまう情けない自分・・・

 

 

cannot be elegant, but...

 

 


Seasons of Love (HD) - YouTube

 

 

前向きなことがないときは,ブログに何かを綴るのをストップすればよいのかもしれませんが,自分に素直に,正直に向き合って,感じたことを綴っています。