自分の考え方だけで行動していないか

生徒たちがため息をついたり,嫌なことがあると顔を曇らせたり,「もうやだ!」とぼそぼそとつぶやいたり,そんなときにこのところかける言葉は:

 

「まあまあ,世の中に出たら,実は思い通りにいかないことのほうがずっと多いんだよ。そんなときどうするか,勝負だねー!(笑)」

 

でも,実はこれ,自分自身に言い聞かせていることなんだよな・・・と思っています。

 

 

自分の仕事は先生だから,そのことに気持ちを傾け,それ以外にできた時間はゆったり,そして家族のことに・・・と公私のバランスを取っていればよいのですが,自分から言い出したとはいえ,大学院に進んでしまった私。

 

みんなが思うことなのかもしれませんが(さくさくと論文を書けてしまう人も中にはいらしゃると思いまが・・・),あまりクリアに見えないゴールに向かって迷いながら進むのは本当にストレスがたまるもので,自己肯定感が本当に下がります。

 

基本的なキャラクターがまじめなので,常に自己肯定感は低い傾向にはありますが,今は本当に低い状況です。

 

論文の執筆をして,ある程度まで進んで指導教官に送ると,熟慮が足りない,とのこと・・・。

 

大学院の学びは,こういうものなのかもしれません。

 

日頃,義務教育段階で生徒たちと接しているからこそ,答えを教えないまでも,そこに向かう道筋の中で,必要だと思うことは伝えています。

 

解き方,のヒントは教えるわけです。どこまで具体性をもったものにするかはその子その子によって違うわけですが・・・。

 

また,言葉のかけ方にも心を配ります。

 

親として,自分の子どもたちが連絡帳にいただいてくるコメントを読んだ時の気持ちも感じているので,子どもの先にいる親御さんの思いも考えます。

 

最後まで見捨てないぞ!

 

そばにいるぞ!(適度な距離のところに)

 

 

 

自分の提出した論文の原稿(見る人が見れば下書き以前なのでしょうが・・・)へのコメントから,そんなことを考えました。

 

私に何を伝えたかったのでしょうか・・・。

 

 

今日も時間を見つけて執筆を・・・と思いましたが,どうにも力がわきません。

 

今日は止めておこうかな・・・。

 

 

 

思えば,泣き言ばかり言っていますね・・・この頃。

 

 

自分の子には,泣き言言うな!と叱っているくせに・・・。

 

 

彼らが話を聞いてって求めても,自分のことを優先して聞くことができないこともたくさんあります。

 

外で,話が聞けないお子さんですねって言われて,叱るのは我が子じゃなくて,自分だなって思ったりもします。

 

 

自分が一番自分の考え方だけで行動してしまってはいないか。

 

 

自問自答は続きます。