英語の授業は英語で を考える

f:id:takaenglishteacher:20131224162552j:plain 嬉しい封筒が届きました

 

国の方針として,英語の授業は英語で行う,とアナウンスがありました。

 

高校についてはかなり前から話題になり,教科調査官も全国津々浦々で方針の浸透を目指してお話をされていました。

 

文科省でも,モデル授業として,全国各地の授業を録画したものをDVD化し,現場に配布する取り組みを行ってきました。

 

今回,中学校でも授業を英語で行うようにアナウンスがなされ,マスコミでも盛んに報道をされました。

 

文部科学省:グローバル化に対応した英語教育改革実施計画

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/12/__icsFiles/afieldfile/2013/12/17/1342458_01_1.pdf

 

 

しかし,中学校の授業は,かなりの教室で英語を中心に行われるように,すでにシフトをしてきています。

 

たくさんの授業を参観する機会を得ていますが,そのほとんどで英語が使われ,子どもたちも英語を使ったコミュニケーションを行っています。

 

私たちが学生の頃,ALTが教室に入るだけで恐れおののいていた時代はもう過去のもので,ALTと楽しそうに英語を使ってコミュニケーションする生徒の姿を見るのも全く自然の光景です。

 

こうした現状を知ってか知らずか,マスコミもこのトピックを大々的に取り上げています。

 

地元の新聞でも:

 

「英語のみ授業」に県内教育現場戸惑い|下野新聞「SOON」

 

こんな記事が1面に登場しました。

 

 

現場の先生の不安な声も掲載されています。

 

 

 

ここでちょっと待って! なのですが・・・

 

 

現場の先生も,普段,英語を使って授業をしているのに,こうした騒ぎが起こると,不安になって,一緒に混乱してしまってはいないでしょうか。

 

 

 

そもそも,英語だけでなく,言葉が身につくまでには,冷静に考えて・・・

 

一体どのくらいの時間が必要なのでしょう

 

 

また,さらに考えますが,言葉は

 

どのような過程を経て身についていくのでしょう

 

 

と,考えると,教えたことをすぐに理解させ,すぐに定着させ・・・ということ自体に,待った!ではないでしょうか。

 

 

英語を聞く(後々読んだりも)inputができるだけたくさん与えられ,英語に触れつつ,実際に英語を使ってみる(まとまったoutputという感覚ではなく,inputに反応するという意味で)機会,interactionする機会をできるだけたくさん経験すること,が大切なのではないでしょうか。

 

正確な英語は,最初から身につかないし,正確さばかりを気にしていたら,コミュニケーションしようという気持ちも萎えてしまうし,頭が真っ白になってしまいませんか。

 

誤りがあっても,まずはコミュニケーションが成立すればOK,対話の相手である先生や仲間から,「え? それってどういう意味?」と確認されたり,「こんなふうに言ってみるといいよ」とアドバイスをfeedbackされながら,自分の発話の中にある誤りに気づいて,修正する,というプロセスを,interactionの中に位置づけ,流暢さ(伝えあいたい内容重視)から,次第に正確さが伴ったものになっていくのではないかと思うのです。

 

 

そういった意味では,身近な話題をもとに,先生がリードしながら,子どもたちを巻き込んで英語を使ったinteractionをしていく分には,英語を中心に授業をしても全く問題がないと思います。

 

 

これまで,公立校を4校廻ってきましたが(日本人学校と現任校を加えると6校),そのどこでも英語を中心に授業をしてきましたし,生徒たちもその流れに乗ってこられたと思います。

 

5年前の全国英語教育学会,東京大会でも発表しましたが,4月の最初から「ついてくる」という状態が出来上がるわけではありません。

 

子どもたちにとって理解可能な英語を,身近な話題と抱き合わせてinputしていきます。

 

それを続けているうちに,3カ月,半年と,生徒の反応が豊かになって,interactionが継続していくようになるのです。

 

短期決戦で,今分からせなきゃ,今定着させなきゃ,と思わずに,中長期的なスパンで見ていけば大丈夫だと思います。

 

 

また一方で,日本語は不要なのでしょうか。

 

それは違うと思います。

 

日本語で進めた方が効果が上がることもありますね。

 

 

使って使って体感した英語を,頭を使って整理するときや,次の時間の連絡,テスト範囲の確認・・・などなど・・・

 

全員に連絡すべきことを徹底するなら,日本語でないとだめですね。

 

 

まとまった英語を使ってoutputさせるときも,まずは原稿を作成するためにブレーンストーミングしたり,構成を練ったり,英作文にして表現するためにも,頭の中で日本語を使った作業をすることが,プロセスとして必要だと思います。

 

高学年になり,そうした活動に慣れていくに従って,日本語だった部分が英語になっていく・・・そんな段階もあると思います。

 

 

facebookやたくさんのブログでも,この話題がかなり扱われています。

 

ほとんどがnegativeな反応なのですが,全面的にダメ,でもないかな・・・と思っています。

 

生徒が英語にたくさん触れる,英語を使ったやりとりをできるだけたくさん体験できるようにするためには,授業の中で,英語を使う必要があると思います。

 

「型」=formから入って,それが定着するまでコミュニケーションをしない,昔ながらの授業のあり方は見直さなければなりません。

 

ワークシートに印刷された,ほとんど型が決まった対話を疑似体験で行わせるだけでも,だめですね。

 

先生がリードをしながら,身近な話題を使い,生徒のことを理解したいと願いながら先生が発問し,生徒の新たな側面を発見して自然にリアクションしたり,さらなる質問を投げかけたり・・・

 

生徒が先生から情報を引き出そうと逆に質問をしたり,自分の対話者である仲間にも尋ねたり・・・

 

 

そうした教室の中でできる,「本物に近い」やりとりをどれだけ行えるかが勝負だと思っています。

 

 

そのイメージが持てていないと,拒絶反応が過剰に出てしまうのではないでしょうか。

 

 

今日,松本のKさんから届いたDVDをさっそく視聴しました。

 

 

上に書いたようなやりとりが,公立校でも自然に行われていました。

 

Kさんとは授業観が本当に重なるなあ・・・

 

 

公立校の中3,12月,受験を控えた子どもたちが,英語を使って話題を共有し,笑いを共有し,伝え合い,理解し合う授業でした。

 

話題が共有化できない,型だけが先行するような授業だったら,そんなふうに,意欲的にコミュニケーションを行わないでしょう。

 

 

 

マスコミ報道に過剰に踊らされることなく,目の前の生徒たちとともに,コミュニケーションしていきませんか?

 

 

キーワードは,interactionだと思います。

 

 

Kさん,ありがとう! あとで気づいたことを送りますね!