気づいたこと! 自分の思考回路が普通かどうかは分からない

ある英語教育に関するメーリングリストに投稿されていたことがあります。

 

先生と出会う以前の私は・・・

 

 -数多い授業研究会や講演会、研修会に参加しては、これは使えそうだなと思う活動を取り入れてきた

 

 -著名な先生目当てで,追っかけで他県まで授業を参観に行くなど,セミナリアンのようだった

 

 -すごい先生方の実践を自分の授業にどうにか取り入れようと悪戦苦闘していた

 

 

○先生は,恩師である先生の指導法を土台にしつつ,これまでの長い指導経験で培った指導法を確立しておられます。

 

また,単に経験だけではなく,生徒の力の伸びを,英検などの外部のテストなどで検証したり,独自に行っている語彙の調査をもとにデータ化しておられます。

 

○先生は,自分の築き上げてきた方法を,自分の門下生たちに伝えていますが,アレンジせずに使ってほしいと勧めています。

 

だからこそ,自分の実践の部分,部分だけを取り上げて使っていては,効果が保証できないというのです。

 

 

これまで,その話を聞いて,どうしても違和感がわいてしまう・・・と思ってきました。

 

先生が違えば生徒も違う,学校も違えば教科書も・・・

 

あまりにもteaching contextが違っているのに,そのどこにも通じるものなんてない,と思っていたからです。

 

また,先生のねがいやおもいもあると思うのです。

 

こんな教室を創りたい・・・は人それぞれではないか・・・

 

 

 

でも,

 

たとえば初任者や若い先生方や,指導に悩んでいる先生にとってはどうでしょう。

 

指導のコアを作り上げるための土台作りも必要なのかもしれません。

 

そう考えると,これまで・・・と思っていたものが違って見えるようになりました。

 

 

 

今でも自分は,どの先生も,自立的・自律的に,創意工夫をして授業を構築できなければだめだ,と思っています。

(もちろん,教科で,そして学校で摺り合わせるべきこと,そろえるべきことはそろえるのが前提だが=学び手のことを考えれば至極当然)

 

自分なりの方法ではありますが,見通しをもって指導計画を立て,授業をし,振り返り,改善をするサイクルを作っているつもりです。

 

でも,さまざまな理由でそれができずに苦慮している人もいるのだ,と思うと,そんなことってダメでは?と簡単には否定できないな・・・と思いました。

 

いろいろな人のよさを切り貼りしてしまうよりは,緻密に練り上げられた1つの流れにしっかりと腰を据えて乗る,ということのほうがよいのかもしれません。

 

我々一人一人がcreativityとvisionを持った授業作りを,子どもたちを中心に行うのは当たり前だ!が最後には通用するように,そのプロセスとして,という意味でも,物事を考えてみたいと思います。

 

 

自分の思考回路が標準だ,と思ってばかりいてはいけない,かもしれませんね。