大学院現職派遣のすすめ ①

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食べたかったさくらシフォンとグアテマラ

 

 2年間の大学院現職派遣期間を終えるにあたって、現職で大学院に行く、という選択についてや、現職で行くからこそのメリットについて考えてみたいと思います。

 

①としたのは、今回から始まって、何回か続くかもしれないな・・・と思ったからです(続かないかもしれないけれど・・・)

 

 

ストレートマスターで大学院に行く選択もあると思います。

 

かくいう自分も、学部4年生時代に受験をし、合格をさせてもらっていたにも関わらず、それをキャンセルして教員になった悪者です。

(父親が入院した事情があった・・・)

 

当時は、自分が院で学びたい、研究したい、という明確な方向性が全く見えないにも関わらず、学部の延長のような甘い考えでいたことをよく覚えています。

 

学部時代の4年間も、英語教育のみならず、専門、専門外、と全くと言っていいほど学ぶ意欲がなかったので、学生生活はハチャメチャでした。

 

時間は有限である、という感覚も全くなかったわけで、無駄な時間をどれほど過ごしたことか・・・

 

せっかくバイトしたお金も、飲食や後輩へのおごりに消えて、海外旅行などにも全く使うことはありませんでした。

 

一方で、仕事をし、時間が有限であることを、本当の意味で知っていることや、日々授業をしていて、自分の弱点や、もっと知りたいことがはっきりしてくる、という点で、大学院に現職派遣で進めば、スタートラインから違ってくると思います。

 

ここで誤解がないようにしておきたいのですが、もちろん、ストレートマスターであっても、学部時代から現場に脚を運び、研修会や学会に参加をし、明確な目標をもって進んでくる人もたくさんいます。

 

下手をすれば、現場の先生よりもしっかりしている人もいるくらい・・・

 

 

 

さてさて、私の場合、何を研究したかったか・・・というと、

 

A) 授業におけるインタラクションの可能性

 

B) 第二言語習得について

 

になります。

 

これまで、現場で経験的に行っていたことが、果たして本当に正しいのか、適切なのか、を第二言語習得研究について(概論だけでも)学ぶことで、答えが見えてくるのではないか、と思ったからです。

 

また、近視眼的に、言い換えれば、短期記憶に残すために行っている活動(繰り返させて、できた! 身についた、とFocus on forms的な、mechanicalな指導のみを行っていくこと)への疑問がありました。

 

もちろん、そうした活動も必要なのですが、そこで終わっている授業が多いこと、そして、その中に自分もいるのでは?という思いがあったのでした。

 

それも必要、でも、その先にあるゴールはなんなのか、という部分がないことに対しての疑問です。

 

言葉の形式にのみ注目させるのではなく、実際にそれらを活用できる力を身に着けさせるために、言葉のもつ意味や機能、そして、それらが使われるコンテクストを抱き合わせて体感的にも学んでいくこと・・・

 

そのための入り口が、インタラクションによって開かれると感じていたからでした。

 

 

私の場合は1年間だけでしたが、およそ多くの場合、2年間現場を離れることができる環境なら、たくさん学べます。

 

それでも、2年間終わると、もっと知りたいこと、やり残したことは出てきますが、それは何事であっても同じです。

 

私が特に1年目で行ったことは・・・

 

A)卒業単位以上に授業を履修したこと(他学部、他の専門領域も)

 

B)学部生、院生たちとの交流

 

C)留学生との交流(英語トレーニング)

 

D)学会、研修会への参加と、ネットワークづくり

 

E)現場を訪問し、できるだけたくさん授業参観

 

F)原書も含め、たくさんの本を読んだこと

 

G)他の院生との自主ゼミ

 

H)他大学の院生のあつまりへの参加

 

 

などが挙げられるでしょう。

 

1年でも,これだけたくさんのことができます。

 

 

外から自分の授業を見つめなおすこともできます。

 

人の授業を見ることで、同時に、それまでの自分の授業との比較を無意識に行っているのです。

 

 

研究に関しては、

 

A)研究する分野について(私の場合はある程度ですが・・・)詳しく学べる

 

B)アカデミックな論文の書き方を学べる

 

C)研究したことを、これからの自分の授業に生かせる

 

ことができると思います。

 

また、その成果を学会発表して発信することもできると思います。

 

 

 

もしかすると、実践と研究とは同一ではなく、全くの別物だと考えている人もいるかもしれません。

 

現場命だ,という人の中には,研究について嫌う人もいるくらいでしょう。

 

でも、今思うのは、それらがお互いに強いつながりをもつものだ、ということです。

 

 

自分たちが子どもたちとともに,よりよい学びを創り出していくためには,常に自分たちの専門性を磨き、知見をupdateさせていかないとだめだと思います。

 

自分は、まだまだ授業が下手です。

 

でも、そんな私にも,これだ,というものがあるかもしれないと思うのです。それは、このままではいないぞ、常に自己更新をしていくぞ、と思って、行動することです。

 

これは当たり前のことで、熱くなることではないかもしれませんが、院で学んだ結果、自分の授業では・・・

 

A)生徒に向けて自分が話すことばや、伝え方について注意を向けるようになった

 

B)発問した後、生徒の応答を待つwaiting timeが長くなった

 

C)生徒のつぶやきを拾おうとすることが一層増えた

 

D)生徒の応答に自分が返すことばについても注意を向けるようになった

 

E)自分の授業を客観的に振り返られるようになった

 

F)中長期スパンで授業のあり方を考えるようになった

 

G)指導と評価の一体化についてさらに考えるようになった

 

と思います。

 

だからこそ、研究し、発信している人でも、実際に話を聞き、授業を見て、「?」おや、おや,おや・・・と思ったら、話半分で聞いてしまうのです。

 

逆に、自分の授業はどう自分に映っているのだろう・・・と聞きたいくらいです。

 

だから、常に謙虚に、失敗をさらし、自己更新していこうとする人は、後輩でも共感し,尊敬します。

 

 

さて、最後にもう一つ・・・

 

院に行って気づいたことは、学び手の気持ち、学び手がどう学んでいるか、ということです。

 

実際に授業を受ける立場になって、もしかすると先生になって初めて、子どもの気持ちがわかったかもしれません。

 

こんな授業は楽しい! こんな授業って・・・・

 

こんな先生は素敵だ! こんな先生って・・・・

 

をたくさん感じました。

 

子どもにかけることば・・・

 

子どもにどう向き合うか・・・

 

復帰後、これまで以上に考えるようになっています。

 

これは、実際学び手になってみないと本当の意味ではわからないことかもしれません。

 

自分はそれでもまだまだ分かっていないことばかりですが・・・

 

(子どもたちよー! おーい!!)

 

 

 

 

こんなふうに、職場や家族の理解を得て、大学院に進めば・・・ 子どもたちに還元でるきこることにつながる、自己更新につながっていくのではないかと思います。

 

みなさんはどう感じますか?

 

 

 

 

 

 

あと、気を付けたいのは、現場に復帰するときのことでしょうか。

 

 

やりたいことが満載になるので、どうしてもオーバーワークになります。授業でも、新しいことをどんどんしたくなります。でも、授業からは長いこと離れているし、自分の授業力は上がっていません。

 

無理をすれば、教わる生徒が混乱します。

 

だからこそ、本当にチャレンジしたいこと、そして、具現化できるイメージが持てていること、のみをまずは1年間、実行することに絞るべきではないか、と思います。

 

 

 

ああああ・・・熱くなってきてしまったなあ・・・

 

これから大学院へ・・・と考えている方に、何かの参考になれたかなあ・・・・

 

なっているといいですが・・・

 

 

私にとっての2年間は、本当にかけがえのない、大きなものになりました。

 

 

 

最後に、肝に銘じて・・・ いろいろなことを学んでも、おごり高ぶらず、自然体でいようと思います。

 

 


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