関ブロ栃木大会・英授研を通して -指導した教育実習生の振り返りから

9月の教育実習で担当した学生との交流が続いています。

 

熱心に学ぼうとする学生たちと,その場だけの関わりではなく,その後も(慕ってくれているのかなあ)連絡があり,一緒に研修を積んでいく経験ができているのは,とても嬉しいです。

 

そんな中,関ブロ栃木大会,英授研にともに参加をした1人の学生から振り返りが届きました。

 

学生(学部3年生)でここまで感じられていること・・・すばらしいと思いませんか?

 

まさに,後輩,恐るべしです!

 

 

今後も,謙虚さを忘れずに,そして(まじめすぎないように,適度に抜いて遊べる人にもなってほしい・・・忘れないでね! Kくん!)学び続けることのできる人になっていってくださいね!

 

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T先生

 

この2日間を通して、授業を行うことが難しいと再認識するとともに、「授業は楽しい」という先生の言葉の意味がわかった気がしています。授業がなぜ楽しいかを考えたとき、インタラクションを中心として新情報を引き出すことができる、コミュニケーションの本質的な要素が多く含まれていることがその一因であろうと思うに至りました。(自分は文法訳読的授業をほとんど受けてきた身ではありますが…。)

 

その意味で、関ブロの授業者のS先生やT先生の授業が受けられていたら生徒としてもどんなに楽しかっただろうかと考えながら話を聴いていたのでした。

 

さて、「みんなの一歩」を合言葉に行われた関ブロでは、普段言葉を交わすことのない現職の先生方の意見を伺うことができました。S先生の授業研究、班別ディスカッションを通して、視聴覚機器の使用法をはじめ、モニタリングの仕方、フラッシュカードの使い方などが個々人で驚く程違いがあることがわかりました。

 

まだ一学生の身分ではありますが、教師としての「教育観」の大切さを感じました。個人の教育観、「どのような生徒にしたいか」ということを念頭に行われる授業にあって、それぞれの先生でやり方が異なるのはごく自然のことなのかもしれません。(実習をした中学校の3名の先生を見ても、その考え方に違いがあることが感じられます。) しかし、私個人としてこれまでの蓄積(学ぼうという意思)がなかったため、非常に新鮮な発見でした。

 

また、教育実習中にT先生から学んだ、授業内の活動が首尾一貫したものであるかどうかという観点で、改めて授業を見ることができました。先生の授業は、一般動詞"call"の用法を文脈と機能を伴った形で意味を持たせ、生徒が自然に気づくことができるように、授業が流れているように感じました。首尾一貫した授業であることの重要性を感じるとともに、アプローチの仕方が様々であることを学ぶことができたのも今回の大きな収穫です。関ブロでの県外提案や、英授研での授業実践報告等を通して、それまで全く考えたことのなかったWritingの指導法やListeningの指導における留意点などを知ることができました。

 

改めてT先生の授業の凄さに気づかされるとともに、実際に行われている授業を積極的に見にいくこと、そしてそこで同じ授業を見た方々と意見を交わすことが自らの学びにつながることを再認識しました。英語教育専攻の3年となり、教員採用試験を来年に控えた今、大学を出て広い視点で授業を改善していく(授業をどのようにしていくか、教育観を構築していく)努力が必要であると感じました。まだ合格するかどうかもわからず、気が早いようですが、英語教員となった暁には授業改善に積極的に取り組む教員でありたいと考えています。

 

「つながり、つなげ、分かち合う授業」の実践を目指し、大学でできることを十分にやっていきたいと思います。

 

うまくまとまらず長くなってしまいましたが、2日間本当にありがとうございました。来月以降、改めて授業見学にお伺いさせていただきますので、その際にはどうぞよろしくお願い致します。最後に…自分も体調を崩しがちな最近でありますが、これから冬本番となり寒い日が続きますので、どうぞお体にはお気をつけてお過ごしください。