ちょっと早いけど 少しだけ回想

2年間一緒に学んできた子どもたちが巣立っていこうとしています。

 

残された授業も,少ないクラスで3時間,多いクラスでも5時間になりました。

 

公立学校入試を目前に控えた中でも,表立って不満を表明することもなく,最高のパフォーマンスを見せてくれる子どもたちに,本当に誇らしい気持ちでいっぱいです。

 

10年近く前でしょうか。

 

中嶋洋一先生が富山で教壇に立たれていた頃,卒業記念の制作で英語の詩を作成させ,ハードカバーの文集を作っていたというお話を伺い,その中で,文集のクオリティが毎年高くなっていくということに・・・

 

本当なのかな・・・ どうしてかな・・・

 

と思っていたのを思い出します。

 

 

10年が経って,自分が43になり,その意味が分かったような気がします。

 

先生も成長し,指導がプラス方向に変容していくからなんだな・・・

 

子どもたちから学び・・・

 

研修によって磨かれ・・・

 

実は彼らに引っ張られ,今があるのだと思います。

 

 

先日,3年前の卒業生が尋ねてくれたとき,彼らとの思い出がぱーっと自分の中によみがえってきました。

 

一緒に過ごせてよかった,とお互いに伝え合い,感動を味わったわけですが,そうした気持ちも常に更新されていきます。

 

もうすぐ終わりそうな,「現在」の子どもたちとの生活ですが,時に身を削りながらも,全身全霊で接してきたことに,彼らは見事に応えてくれた・・・

 

そう思います。

 

もちろん,全員の生徒が私に好意的であるはずもないし,指導がうまく入っていかないこともあると思います。

 

でも・・・それでも,納得感が感じられる・・・

(やり残したこと,きっとたくさんあるはずなのですが)

 

それが嬉しいのです。

 

 

こうした実感が得られたのは,21年目で初めてかもしれません。

 

これまでも,常に一生懸命だったことは変わりません。

 

では,何が変わったのでしょう。

 

 

彼らの気持ちに寄り添い,彼らがどう学び,どう感じているのか,を本気で考えるようになったからだと思います。

 

その大きな変化を生みだしたのは,やはり2年間の大学院生活でした。

 

自分が学生に戻り,授業を受ける立場になって改めて実感できたことが大きかったのです。

 

 

この先生は自分を好きでいてくれる

 

この先生は自分に喜んで関わってくれる

 

この先生は自分を大事にしてくれている

 

 

そんな当たり前のことが,こんなに嬉しく感じられるものなんだ・・・

 

 

そう思うと,稲岡先生が常に「愛」を大事に,とおっしゃっておられる意味が,初めて本当に体感できたと思います。

 

残念ながら,2年間の中で,そう感じられないこともたくさんありました。

 

特に,一番関わりが強くなるはず,の先生との間で,それが顕著でした。

 

 

 

 

 

 

 

自分は頑固で,そうした傷ついた思いをなかなか消化できない人間です。

 

 

人生で最後の学生生活です。

 

 

その切なさ・・・うーん・・・

 

 

 

 

 

 

そう思えば,今まで接してきた子どもたちに,同じような思いをさせてこなかっただろうか・・・

 

胸が苦しくなりました。

 

 

だからこそ,これから接する子どもたちに,そんな思いを出来る限りさせたくない・・・

 

 

 

そう本気で思えたから,自分が変われたのだと思います。

 

 

 

 

昨年秋,英授研で授業を見てもらえた後で,久保野先生から握手をしてもらい,

 

「Tさん,変わったね!! 40過ぎても変われるんだね!」

 

と言ってもらえたとき,涙が出たのは,そんなことがあったからです。

 

 

 

 

 

2年間,ときにふと立ち止まり,ときに空を見上げ,それでも,少しずつ一緒に前に進んできた子どもたちが学び舎を巣立っていきます。

 

 

あと3時間,5時間,今までと同じように一歩一歩を大事に過ごしていきます。