稲岡先生,分かったような気がします! 「愛」

自分の授業がこんなふうであったらいいなあ・・・と思うイメージは,姫路の稲岡先生の授業実践がモデルになっています。

 

稲岡先生は,学会で授業の映像を見,研修会で御一緒させていただき,個人的にもやりとりをさせていただいてきた先生です。

 

平成24年度の最後,2月に夜行バスで姫路の学校まで駈けつけたとき,よく来てくれました!とばかりに温かく迎えていただいたこと,今でも忘れません。

 

日頃の授業を飾ることなく見せてくださったのですが,その時の温かな教室の様子も,本当に忘れられません。

 

Try it, Fail it, Try it again, Fail it better.

 

という大切なことに気付かせてもらえたこと,ターニングポイントになりました。

 

・ただ教える,学ぶ,ではなく,言語材料が使われるコンテクストをしっかりと作りだして,言語材料との出会いを大切にされていること

 

・モデルとしてのインプットをしっかりと与えつつ(教師の自己開示),生徒を巻き込んで自然なインタラクションを膨らませること

 

・Oralではどんどん使わせつつ,正確性を担保するために,ノートを活用しておられること

 

・書くことのハードルを下げるために,やりとりさせたことを書き起こさせること

 

・提出させたノートにコメントを書き,positiveなフィードバックをするとともに,しっかりと修正もして,生徒一人一人が自分のアウトプットをメタ的に見つめる機会を作っていること

 

などなど・・・

 

 

自分の授業の原型となっています。

 

 

稲岡先生が研修講師を務められる時に必ずお話されること,それは,

 

すべての素,それは「愛」だ,ということです。

 

 

正直,英語授業の改善のためになぜ?という疑問がずっとあって,稲岡先生の真意が分からない時期がありましたが,ここ1,2年,その意味が分かってきたような気がします(とっても,稲岡先生の背中はまだまだ見えませんが・・・)。

 

 

どれだけ個々の生徒が好きで,どれだけ彼らを理解しようと努めて,互いに温かな人間関係が築けているかが,授業を支える大事な土台になっていることか・・・

 

 

稲岡先生,ようやく,少し分かってきた気がします。

 

「愛」ですね!

 

 

 

姫路では,二人で一緒にお茶を飲み,ケーキを御馳走してくださいました。

 

姫路市内をドライブして,駅まで送ってくださいました。

 

そして,握手をして送りだしてくださいました。

 

 

そこにも,「愛」,あったなあ・・・