自分の道を進むということ
このところ、相次いで命に関わる報道がなされています。
それぞれが自分で考えた道を進んでいます。
声を失っても、生きることを選択した人・・・
最後まで舞台に立ち続け、役者であることを全うした人・・・
片胸を失っても、家族とともに生きることを決断した人・・・
それぞれ、尊敬し、尊重すべきことだと思います。
大事なことは、葛藤の中、自分の道を進んだのではないか、ということなのかな、と思います。
小さな頃、小さな痛みでさえ恐ろしくて、この世を去る、ということに対して、漠然とした恐怖があったことをよく覚えています。
おばけも怖くて、夜、トイレに行くのも怖かったことも・・・
今、目の前のことに懸命で、いろいろなことをじっくりと振り返る余裕はほとんどありません。
心が充実していても、体が悲鳴を上げていて、行動できないことも増えてきました。
今朝も、たくさんの人がジョギングをしている姿を見ながら、自分も、と思いつつ、動けないのです・・・
テレビに出ているような有名な方と、凡人である自分とは大きく違うことはよく分かっていますが、自分は自分ができることを全うしているかなあ・・・
男女バレーボール、ラグビー日本代表、男女バスケットボール日本代表・・・
ここのところオリンピック出場をかけて試合に臨んでいる選手たちが、本番までに積み重ねて来たもののように・・・
若い頃、やんちゃばかりしていて、生徒も、同僚も、先輩も困らせて来た自分・・・
43になった今、何ができるのか、日々、考える、そして行動するしかありません。
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昨日、文化祭を終え、下校する生徒も最終・・・になった頃、薄暗くなった校内を独り歩いていた自分に、ずっと遠くから大声で声をかけてくれた2人の生徒がいました。
「T先生ーーーー!!!! さようならーーー!!!」
「おおー! ありがとうーーー!!」
「はーい!!!」
「今日、がんばったねー!! 最優秀賞おめでとうーーー!!!」
「ありがとうございますーー!!!」
何気ない一場面ですが、こうして向き合っている目の前の子どもたちのために、自分の道を進みたいと思います。