小学校からの英語教育をどうするか
金曜日に文化祭が終わり、来週金曜日の実力テスト前の部活動休止期間に入りました。
とはいえ、火曜日からは月末の運動会に向けての本格的な動きがスタートし、その合間に作問、採点、そして、PTA厚生委員会の市PTA連合会のバレーボール大会の夜間練習など、重層的な仕事がやってきます。
息をつく暇がない、とはこのことを言うのだ、を日々実感しています。
さて、そんな状況の中での土曜日でしたが、昨日までの疲労がピークで、作問はひとまずお休みにして、仕事から離れて過ごしました。本を読もう、と手に取ったのがこの本です。
タイトルとは裏腹に、前半は日本の英語教育の現状や、これまでの英語教育の変遷などが概説されたり、昨年有識者会議が提言した「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」の検証などが紙面の多くを占めています。
ここのところ、自分が日々実践していることとは違った角度から英語教育を見つめている本を中心に読んでいるのですが、今回もその中の1冊になります。
「実施計画」の抱える問題点を鋭く指摘しているところに関しては、なるほど、よく理解できます。
現在の英語授業の抱える問題点、トレーニング中心主義の問題
グローバル化=英語化、ではないこと、多様性への視点が決定的に欠けていること
客観試験のよさと問題点、それだけに妄信してはいけないこと
有識者会議に英語教育関係者が入っていないことや、社会=資本主義社会という一面的な捉え方への問題
後半、最後の章で、ようやく小学校からの英語教育のあるべき姿について語られます。筆者の失敗談から始まり、あるべき姿へと近づいていった過程もよく分かります。
小学校での指導から、中高での授業のこれまでを見直し、小学校でのあるべき姿を受け、授業をどう改善していくべきか、も語られています。
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本書が想定する読者層には3つ挙げられており、
①保護者および一般市民
②小学校教師
③中高大の英語教育関係者
となっています。
自分は③に属するため、読み方・感じ方、はやはり③の立場からになってしまいます。
①・②の人たちがどれほどこの本を手に取っているのか、また、どんな感想を持つのか、がとても気になります。
どうなんでしょう・・・。
個人的に感じたことは、
①であれ、②であれ、問題について知ってもらうこと、理解をしてもらうことを考えると、前半の第1・2章は文体が難しいなあということです。
これまでも、難しいことを難しく書かない、どれだけ柔らかく書けるか、が大事だ、ということをこの場でも何度も書いてきましたが、自分の稚拙な理解力の問題も大きいのですが、もう少し砕いて書いてもらえないかな・・・と思います。
(好みの問題も大きいとは思いますが・・・)
その点、第3章は非常に読みやすく、すっと入ってくる感じがします。
また、現場で奮闘している先生方にとっては、問題提起はされたものの、じゃあどうすればいいのか・・・という部分での訴えがもっと、さらに具体的にほしいな、と思いました。
さらには、大学での教員養成の在り方にも、もっとメスを入れてほしいなあ・・・と思いました。英語教育学だけではなく、教育学部で指導を行っている文学や語学も、その特質を生かし、学問として学ぶことも大切にしつつ、現場で読み物をどう読んでいくか、また、文法指導をどう行うかという部分にもっとfocusした授業を展開してほしい、という切なる思いがあります。
どこかに責任を押し付けるのではなく、よーいどんで手を携えてともに理解し合い、変わっていくことが何よりも大切だと思いますが、一教師にどこまでできるか、と考えると、途方に暮れてしまいそうにもなります。
ただ、最後に書かれていたように、これまでの歴史上の大事件に比べたら、なんてことはない、信じてがんばれば道は必ず開ける・・・そう思うことしかない、そしてtake actionできるかにかかっている、そう思いました。