指導者としての器量が問われている
ティーチングではなく、コーチングが大切だ、などということがよく聞かれるようになった。
親鳥がヒナ鳥に餌を与えるように、手取り足取り物事を教えてしまっては、自立的・自律的な学び手は育たない、ということなんだろう。
少し先に出会う、いやいや、ずっと先かもしれないけれど、いつか問題に直面した時に、自分の力で立ち向かうことができるような生徒を育てるためには、学びのプロセスの中で、同じように挑戦する機会を与えることが大事なんだと思います。
真面目な性格であればあるほど、目の前にしている子ども一人一人が好きで、なんとかしてあげたいと思えば思うほど、転ばぬ先の杖になる、というような思いではなく、自然に手を差し伸べてしまうだろう、ということは本当によく分かります。
自分にも、そんなところがたくさんあるなあ・・・そう思います。
県大会出場を決めたスピーチコンテストの代表生徒とのかかわり・・・
ここからギアを入れ替えて、アクセルを踏むぞ、というところでも、まずは本人がどんな風にレベルを上げていきたいと考えているのか、話を聞きたいと思っています。
モデルになるスピーチの映像を視聴したり、本人の本番スピーチの映像を視聴したり、その中で、本人がどんなことに気づき、どう改善していくかを考える機会を作っていこうと思っています。
授業の中での一人一人の生徒とのかかわり・・・
授業を終えて、課題を抱えている生徒一人一人とのかかわり・・・
部活動を通した指導・・・
みんな根っこは同じだなあ・・・
切り口を示しつつも、彼ら、彼女たちが課題意識を持って自分自身を見つめ、どう動こうか、自分自身でTake Actionしようと思えるような場づくりをしたい、
また、失敗することができる受け皿をちゃんと作っておけるようにしたい、
そう思います。
Try it, Fail it, Try it again, Fail it better(敢えてlessではない)
同じように、若手の仲間たちが集まってくれる自主研究会の動きもそうです。
同じ映像を見て、同じトピックについてディスカッションしていても、経験年数や問題意識の持ちかたで、気付くこと、気になることが変わってきます。
大事なことに気づいて欲しい、と思いすぎてしまうと、彼ら自身が自分で気づいて行動していくことを妨げることになってしまうようにも感じます。
気付かせたい、と思うと、じれったさが募ってきます。
器量が問われている・・・
そう思いながら、待つことを大事にしていこうと思います。