新潟のM先生からの拙授業へのあっぱれ批評④

T先生、おはようございます。
新潟は本日初雪でした。

そんな中、頭がポカポカする幸せをいただき、ありがとうございます。

T先生らしい、と思ったところ、このことは、先生はどんな学校で教えても変わらないのだろう、と思ったところをまとめたいと思います。

 

前回の謎ワードは、「スポンジ」でした。例えば、高校で、いまだに見受けられる旧態依然とした教え方、つまり、

「英文法解説→ドリル→小テスト→再テスト」+「訳読式」で、
何故、力がつかないのか、

 

その答えを、今回、T先生の授業ビデオを拝見し、確信しました。

上記のような教え方をしている時、生徒の頭は、底のない容器になっていると思います。
先生は、一生懸命、注ぎ込んでいるつもり、生徒も、必死で受けとめているつもり、ただ、それは、残念ながら、だだ漏れの容器に水を注いでいるのだと思います。

目や耳から入ってくる言葉を、きめの細かい目のつまったスポンジに注ぎこみ、それが、漏れ落ちてしまわないうちに、スポンジから自分の体の中へ移す作業ができるのか、その時間を見計らう、保証する、ここが肝心だと思いました。

 

つまり、どれだけ、素材を、頭と心にしみるものに変えるのか、そこが、教師の仕事なのだ、と思いました。

スポンジの目のきめ細かさとともに、注ぎ込むものも、さらさら流れるものではなく、
ねっとりとした液体である必要があります。先生の丁寧なinteractionは、液の濃度をあげ、つまり、それは、吸収されやすいように、成分を変えているのだと思います。interactionである必要があります。

 

一方的に聞かせてもらうのでは、頭は働かず、心は動かない。トークに巻き込まれて、

じっくり時間をかけて、一滴ずつしみこませていくから、頭も心もゆっくりと動き出すのだと思います。

形は似ているけど本質が違う「interaction もどき」というものがあります。

書かれた事実を確認していくだけのQ&Aになっているものは、interactionではありません。相手が違っても同じことをするからです。相手が違うと、展開が違う、つっこみどころが変わる、同じ問いかけをしても生徒の反応が違う、違う反応につられて、違う展開になっていく、そんなことが、まさに生きた授業なのだな、と思います。

 

私は、今年度は、通常の授業が終わっていますが、センター試験の後は、志望大学別の特別編成講座を担当します。
そういう講座においても、授業と同じ原理で展開するよう心掛けています。

からみあって、からみ合うからこそ、深まって忘れ得ぬ時間になるような授業を、目指していきたいと思いました。


T先生、このシリーズは、まだ続きます。(笑)
本日は、ここまで。(笑)

生徒が「Mチャンワールド」と名付ける、
わかるようなわからないような言葉づかい、お許しください。(笑)

 

 

まさに,まさにMチャンワールド・・・

 

ひきこまれていく・・・