人に届くものの言い方とは
大修館の英語教育3月号,冒頭は,静岡大学を退官された三浦孝先生の玉稿からスタートしました。
10年以上前,教師を辞めようと思っていたとき,それを思い留める思いにさせてくれた本をお書きになられた先生です。
自分が卒業した静岡大学の先生でおられましたが,私が卒業した後に赴任をされたので直接指導を受けたことはありません。
あまりに思い悩んで,とうとう先生のところにメールを送り,会っていただけないか,とお願いをしたところ,二つ返事で受け入れてくださいました。
研究室でお話を聞いてくださり,温かな言葉をかけてもくださいました。
学校で英語を学ぶことの本当の意味について,マクロに捉えつつ,高校や大学の現場で生徒や学生に真摯に向き合い,寄り添ってこられた先生です。
先生のお書きになられた文章を読みながら,自然とすーっと自分の中に入っていくのを感じます。
一方,残念ながら言葉の端々が自分の中に入る前にひっかかってしまい,届いてこないものもあります。
あるカリスマ先生の書かれた原稿は,こうすれば成功する,という書きぶりです。
授業の様子を形容される中で一番かけられることばは,「教室が温かい」・・・
実際に私がライブで授業参観をさせていただいた時,活発に見える教室でしたが,流れに乗れず,しんどそうにしている生徒がいました・・・
私と同年代の別の先生が書かれた原稿も,同じような書きぶりでした。
その先生が講師を務める研修会に参加をしましたが,やはり,こうすればうまくいく!という話しぶりでした。
講師をするわけですから,自分を卑下したり,自信がありません,というスタンスで話すことはできません。
でも・・・どうしてもひっかかるんですよね・・・
話をし終えたら,ハイタッチ・・・
そんなにテンションを上げないと,英語は学べないのだろうか・・・
成功体験が並び,好意的な感想が紹介され・・・
でも,全員がそうなのかな・・・
このブログでも,嬉しかったコメントを紹介すること,たくさんあります。
でも,悩みや,失敗体験,否定的な子どもたちからの指摘・・・
そうしたことも晒します。
そもそも,全員に効く学習方法なんてあるのでしょうか。
全員に好かれ,全員に尊敬されることなんて,あり得るのでしょうか。
教師も,悩みながら,生徒とともに進む存在なのではないだろうか・・・
そう思えてなりません。
珍しく何かに対してぶつかってものを言う,ような投稿をしますが,そう,強く感じています。