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どんな子どもたちが上がってくるのか、知らなければいけない

やっとの事で合格を勝ち取り、高校1年生になった我が子、入学式から1週間で早くも高校の勉強の洗礼を浴びています。

 

高校とはそういうもの、と思えば当然なのでしょう。

 

でも、県内の広範囲の中学校から、それこそ一人一人違う学習履歴を持った生徒が入学してくる中で、ガイダンスがプリント1枚、予習の仕方の具体的、かつ視覚的なイメージを与えない中で十分な宿題が与えられることをどう受け止めればよいでしょう。

 

そうしたことが、それぞれの子どもたちにどう受け止められるのか・・・

 

私たち教師(教える側、与える側)がそのハードルの高さについてどれだけ知っているか、そのことについて保護者の側から考えさせられることになりました。

 

そうは言っても、自分自身も(今もそうかもしれない・・・)、

 

・小学校でこんなことは当然やってきているだろう・・・

 

・こんなことはできて当たり前だ・・・

 

という前提のもとに授業をし、子どもたちにも求めていた時期が長くありました。

 

小学校の先生方から、そうした考え方の危うさについて話をしてもらってから、意識をするようになったのです。

 

・小学校の先生方がどんなプロセスで子どもたちを教え、どんな手だてを講じていたのか

 

・その中で、子どもたちはどんな学びをし、どのように一つ一つのことを身につけていったのか

 

という学習や指導の流れを知ることは本当に大切だと思うのです。

 

自分の側の論理だけでなく、バトンを渡してくれる相手側のことをどれだけ知ろうとしているか、問われていると思います。

 

また、先ほど投稿した修学旅行の話ではありませんが、導きたい方向について学び手である子どもたちと共有するためのプロセス、しっかりと大切にしていかなければならないのではないでしょうか。

 

もちろん、自律的、自立的、創造的な学習者を育てるために、高校の先生が期待し、求めるところも分かります。

 

単なる批判ではなく、自分も含めて、の話として、私たち教師が考えなければいけないことなのではないでしょうか。