二人称的な考え方を大切にしたい

公開研究発表会のための事前研究会が2日後に迫っています。

 

週末もわが子の運動会,そして部活動で土日はフルに予定があり,夜も仕事をする体力が残っておらず,まったく準備ができずに貴重な二日間が終わってしまいました。

 

来週も小学校の運動会,日曜日は東京で理事会,と無休のまま怒涛の日々が過ぎていこうとしています。

 

体がもつかどうか・・・

 

体がしんどくなると,かならずできるのが口内炎です。

 

今回も大きいのがばっちりできて,歯磨きをするたびにピリピリとしてしんどい・・・

 

嗚呼・・・

 

 

さて,そんな中でも構想を練らないわけにはいかず,普段の授業で行っていることをベースに授業内容を考えるわけですが,その中で大切にしていることは,「二人称的な考え方」です。

 

それはどういうことか,というと,トピックの選定を行う際,トピックの中に教師が含まれ,さらには生徒も含まれ,教師が生徒を,生徒が教師を,互いに二人称として感じられるようにする,ということです。

 

教師が生徒に真剣に相談します。

 

「夏に県外から来客があるんだ。来県するのは,群馬県のOさん,そして埼玉県のSさんだよ。それぞれどんな人かというと,Oさんは開放的なキャラクターで運動が大好き,そして,Sさんは穏やかな性格で歴史が大好きなんだよ。」

 

「それでね,県内のどこに案内したらいいかな?」

 

こうして,互いに二人称的な存在となった時に,相手を思い,相手の役に立つような意見を出そうと,本当の意味で心が動き,真剣に考える・・・・そう,思考が深まると思うのです。

 

 

来県するお客さんが架空の人物だったら・・・(もしくはアニメのキャラクターなどだったら)

 

どうでしょうか。

 

真剣に考えようと思うでしょうか。

 

 

そんな三人称的な,代名詞的なことでいいのかな・・・

 

そう思うのです。

 

 

生徒に尋ねてみるまで答えが分からない,生徒とともに考え,授業を創っていく,授業って,そうあるべきじゃないかな・・・そう思います。

 

みなさんはどう思いますか?

 

こうすればこうなる,生徒はこう育つ・・・という行動主義的な教育観・・・

 

教育の法則化・・・

 

 

少し考え直すべきではないかな・・・そう思っています。