コア・カリキュラム(試案)に思う

今後の英語教員養成、また英語教員研修に向けて、試案が提案されているコア・カリキュラム。

 

学会から意見聴取、という形で依頼が来たので、拙いながら自分なりの考えを書き出して、送りました。

 

みなさんはコア・カリキュラムについて、どう考えますか?

 

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 東京学芸大学という教員養成大学が中心となって検討された試案は、現場に立って指導を行う教師の姿や大学で学ぶ学生の姿を想起できる内容であり、文科省が様々に公表しているものよりも親近感がもてる内容ではないか、と感じます。

 

 特に、「子どもの第二言語習得についての知識・理解」→「授業実践」、「英語運用に必要な基本的な知識等」、理論が実際の授業場面でどう具現化されるのか、そのためにどんなトレーニングが必要なのかが具体的にまとめられているところが良いと思います。

 

 大学では、大学ならではの学び、第二言語習得研究の知見や言語学、文学など、教育学以外の部分での学びもこれまで同様大切にしていただけたら(しかし、active learningを通して学んで欲しい)と考えています。

 

 一方で、現在も教育実習生が勤務校に来ていますが、教育実習に必要な「いろは」、としての基礎的な指導技術や指導案の書き方等がかなり不足していることも実体験として感じています。学生に話を聞いたり、実地講習で授業をしに行ったりしながら大学での学びを外から見ていると、実践につながる知の獲得や、実際の授業を見、そこから学ぶ事や、実際に模擬授業などを経験する機会が圧倒的に少ないと感じます。

 

 教員養成のコア・カリキュラムには、「授業観察や体験」「模擬授業」の充実を切に願うとともに、現場によりいっそうつながる具体的な指導が行われることを期待します。

 

 特に、小学校で英語を教えることになる教員の養成は急務ではありますが、数合わせで中学校の英語教員を小学校に配置換えするような短期的な対応ではなく、大学時代から、幼児・初学者に英語を指導することについて学んだ経験のある人材を育成していくことに重点を置いて欲しいと考えています。中学校の文脈で英語を小学生に教える、ということが数多く起こると考えます。

 

 教員養成、教員研修、双方で欠けている、というように感じるのは、国の言語政策そのものに影響を受けていることだと思いますが、外国語を学ぶこと=スキルの獲得、というような考え方に基づいている印象が強くあります。

 

 「相互文化的能力を育む外国語教育: グローバル時代の市民性形成をめざして」(2015・大修館書店)でも紹介されているヨーロッパ型の言語政策のそれとは大きく考え方を異にしているところが気になります。特に教員養成段階で、アイデンティティの確立と言語の関係性などについてもぜひ学んで欲しいと願っています。今回も、教員養成のカリキュラムには、国語教育との関連が若干触れられていますが、それを超えて深く考えられるべきことだと思っています。

 

 中高教員研修に関して提案されていることは、大変理にかなっていると感じられます。どれも必要不可欠なものが並んでいますが、特に中堅以上の現場教員に必要なのは、第二言語習得研究についての理解です。

 また、授業改善の営みが日常的なものとなるように、action research的な視点で、自分の授業に向き合うことができるようになると良いと思います。

 その際、誰がメンターとしてその教員に関わるか、という部分が大きいと言えます。各都道府県、各市町村単位で研修の内容を細かに設定することもあると思いますが、指導に当たる指導主事等が、大学時代に今回カリキュラムで提案されているような学びを経験しているとは限らず、趣旨を踏まえ、研修を受講する教員にとって本当に生きる、実効的な内容を供することができるかも大きいと言えるのではないでしょうか。

 

 また、これだけ多くの項目を、少ない研修の機会を通して各教員が消化でき、自分のものとできるかどうかも大変心配です。今回は、英語教員研修として、我々現場教員の毎日の生活の中から切り離して考えていますが、息をつく暇すらもない現場での日々、研修に出ることすら憚られる(予算の関係も問題)中で、受講後に血肉となって自分のものにできるかどうかは大きな不安があります。

 教育課程外だった部活動ですら、位置付けをはっきりとさせて、我々現場教師の当たり前の仕事として位置付けられる、授業時間数の増加だけではなく、複数の教員を同じ時間に拘束する総合的な学習の時間などの影響で時間割自体が硬直化し、教員相互が連携すら図れないような毎日です。

 海外のように教員の役割が分業制となり、スポーツの指導や、カウンセリング、渉外業務などが別の担当者によって担われているなら別ですが、いくら良いものを作ったとしても、実際に研修を受ける教員の多忙感を増すことは確実で、制度的に負担減をすることを並行して行わず、英語教員研修のみを充実させることは、個々人の教員の「がんばり=オーバーワーク」によって支えられていることになることをぜひ忘れずにいて欲しいと思います。

 大学入試センター試験に変わる新しい入試の記述問題の採点を大学の先生が行う案も出されていますが、それに対しての大学の先生の負担増よりも、小中の現場の忙しさは、想像しているよりも遥かに深刻です。皆、眠る時間を削って仕事をしています。