尊敬できる師とは

論文執筆に苦しんでいるためか,教室での子どもたちの関わりが心なしか希薄に感じられます。

 

それではいけない,と一生懸命になっていますが,一生懸命になればなるほど,空回りしてしまっている気がします。

 

そういうときは,同じ現象でも,なぜかnegativeに映ってしまうものですね・・・。

 

一般企業で働くみなさんも,同じように感じるのでしょうか。

 

また,先生をしている同業のみなさんもそんなときはありますか?

 

セルフコントロールができないのは,だめですよね・・・。

 

 

自分が「師」である,などとはとても思えませんが,昨日の自分の投稿に関して,後輩からコメントが寄せられました。

 

facebookに書き込まれたので,チャットのようにやりとりが続いたのですが,彼が言っていたことのポイントは,次の部分に凝縮されていると思います。

 

論文や語学など我々がしてきた学習において、「的確で具体的なアドバイス」は学習の道筋を示すと同時に「限定する」役割を果たすのかなと思います。広義の学びを促すか、狭義の学びを促すか、場面によって使い分けることを自然とできる師を、僕は尊敬します。

後輩ですが,彼の言葉は的確で,重みがあります。

 

自分がそういうスタンスで自分の教え子たちと関わっていけるようになりたい・・・。

 

 

今,広義の学びを促すサポートを受けられている一方で,狭義の学び(狭義というと,もしかすると誤解があるかもしれませんが,具体性のあるアドバイスを与えて,具体的な研究の進捗をpromoteするもの,というとらえ方で)が外注状態になっている苦しみを考えつつ,不満を吐き出す代わりに,自分自身の子どもたちへのアプローチを見直すきっかけにしたいと思います。