心がそわそわすることがあります

最近、とても気になることがあります。

それは、自分も含め、教師が発することば、教師の立ち居振る舞いのことです。

特に、子どもたちに接する際のそれら、が気になるのです。


部活動の練習試合や、公式戦の際に、ベンチで、そして、試合の間に、子どもたちにどんな声をかけているのか、そして、どんな態度で過ごしているのか、自分のことも外から見ている自分がいます。

どんなことばを選んで、どうやって伝えれば、一番子どもたちに伝わるか、理解し、納得し、プレーの改善に生きるか、をよくよく考えます。

タイムアウトの前に、何を言うか頭の中でリハーサルもします。

また、そのときに、どのくらいの距離に立つか、座って視線を合わせるか、それとも敢えて合わせないか、どんな表情で、どんな声で伝えるか、も考えます。

技術的なアドバイスなら、短い、シンプルな指示をし、連呼して確認するようにしたり、心を落ち着けるなら座らせて少し時間を置いてから諭したり・・・


でも、そんなこと、若い頃からできていたわけではなく、若い頃は感情をそのまんま生徒にぶつけていました。

思い返すと恥ずかしいし、生徒たちに申し訳ないようにも感じるくらいです。

ただ救いだったのは、ベテランの先生がもう一人の顧問として側にいてくれたことです。

ブレーキをかけたり、私自身をクールダウンしてくれたり、時には叱ってくれたりもしました。

そのおかげで今があると思います。


最近の若い先生たちには、そんな気づきの機会があるのでしょうか。

思うようにならない場面はいくらでもあると思いますが、生徒たちに向き合う姿、かけていることばを聞いていると、胸が苦しくなることがあります。

うーん・・・

生徒の自己肯定感、高まるはずもないよなあ・・・



同じようなことは、授業の在り方、生徒指導の在り方にも当てはまると思っています。

世の中が変わって、創造的、協同的な子どもたちを育てる必要がある、自己肯定感が高い子どもたちを育てていく必要がある、でも、基礎・基本の定着のために頑張るけれど、身につけたことを何のために活用するのかはほとんどイメージされない・・・

彼らにかけることばも・・・
部活動のときのそれと同じかもしれない・・・


自分もそんな中の一人でもある・・・そう思って常に反省的に自分を見つめています。


自分がどうにかできるほど、問題は小さくないのです。それはよく分かっているんです・・・

ただ、なんだか心がそわそわするんですよね・・・