「わかる」ということの意味
佐伯胖先生の著書を読み進める日々,3冊目を読了しました。
それにしても,読めば読むほど,今学校で行われていることの意味を自分に問いなおさずにはいられなくなります。
今回もそうでした。
今回は1冊を通して,算数・数学について焦点を当てています。
学校で学んでいること,
ブラジルのストリートでキャンディを売っている,学校へ行っていないストリートチルドレンたちの計算術,
または,スーパーマーケットで経験をもとに賢い買い物をしている主婦たちのそれ,
これらを比較しながら,学校で学んでいることがいかに閉ざされた狭い考え方の中で,学校知としてのみ通用するようなものになってしまっているのか,が書かれています。
自分が学んでいることが,世の中に通じている,学びが現実の状況につながり,現実に起こっていることとつながっている,そのことが,学び手を本当の意味での「わかる」ことに導いていく・・・
そんなことが書かれていました。
最後の第Ⅲ部では,現在の学校で行われていることの問題点が示され,それに対してどんな方向に向かっていかなければならないかが語られていました。
まさにその通りだなあ・・・うーん・・・
先日お話させてもらった地元の大学のM先生は,フィンランドの学校を訪問した知人のエピソードを話してくださいました。
フィンランドの高校で参観した授業では,ある現象を学ぶために,生徒たちがその検証方法である実験についても,どんな実験をすればよいのか,自分たちで話し合って決めていました。
日本人の理科の先生にとっては「?」の世界,その後フィンランド人の理科教師に質問をしたそうです。
実験そのもの,実験の進め方,は教師が決め,起こる現象を的確に確認させる日本のやり方の方が効果的ではないか,と。
フィンランド人の教師は微笑んで,
「私たちが考えていることは,あなたがたが考えていることとは違うのですよ。」
と答えたそうです。日本人の教師は「?」だったそうですが・・・
多くの場所で,与えられた問題に手っ取り早く答えを出すことを求めたり,
学校だけではなく家庭でも,優秀な上級学校へ進学することがよしとされたり,
そんな環境の中で,子どもたちは生きているのですね・・・
自分も例外なくその環境を構成している一人でもあり,複雑な思いになります。
こんなこと考えている先生って,どのくらいいるのだろう・・・
一緒に深く考える仲間たちが増えてくれるといいなあ・・・