イメージを共有する

今日のゼミでは、公開研究発表会での自分の授業が話題になりました。

 

事後研究会には、院生や内留生は都合で参加しなかったので、改めて一緒に振り返りをしました。高校からの内留生、そしてストレートで上がってきたM1の後輩とディスカッションをしましたが、自分が意図した授業のねらいを理解してくれたようです。

 

修士論文の研究で、インタラクションの中で行われる教師からのfollow-upに注目をしているのですが、自分の授業の中でその成果が表れたのか、が気になります。

 

ほんもののことばのやりとり=communicationを行うためには・・・

 

・話したいことがあって

 

・伝えたい相手がいて

 

・知りたいことがあって

 

・伝えてくれる相手がいて

 

ということが大切になると思うのです。

 

 

だからこそ、生徒の発言が正確かどうか、こちらが意図しているかどうかを評価するだけのfollow-upで終わらずに(もちろん、そうしたことも大切だけれど)、生徒の発話の内容に、教師が興味・関心を持って反応するようなfollow-upが大切だと思うのです。

 

 

参観してくれた2人は、自分の授業の中に、そんなdiscoursalなfollow-upがあったことを感じ取ってくれました。うれしかったです。

 

ワークシートに頼らず、自分のことばを使って対話が継続できる生徒を育てたくて、4月からずっとワークシートを使わずに授業を進めています。

 

formに最初からfocusしすぎずに、使いながら徐々に形に慣れていけるような・・・

 

そして、使いながら適宜修正feedbackを与え、それをshareしていく・・・

 

そして、基本的にはfocus on meaningの考え方を重視してきました。

 

参観者にとっては、そうした毎日の積み重ねを見ることなく、当日対話を継続している生徒たちの様子を見るので、表面的な理解だけに終わってしまうと、できる生徒がいるからだ、のような解釈をしてしまいがちです。

 

また、脱落する生徒を出したくない、教えたことをわからせたい、という思いがどうしても強くなるので、活動をさせる前の練習がどうしても長くなり、formを定着させようとすることになります。

 

試合をさせず、warm upばかりを部活でさせているような感じになりますね。

 

生徒はそれでモチベーションが上がるのかなあ・・・

 

最初から正確性に意識を向けすぎなんじゃないかなあ・・・

 

短い事後研究会の中で、私がイメージしていることを伝えようとしても無理があります。

 

半信半疑で話を聞いている参観者の顔を見ながら、少しもどかしさを感じつつ、イメージを共有するには時間がかかるなあと改めて感じました。

 

Step by step!

 

焦らずいこう!