教育実習生の主体性を大事にしたい
理科室前のひまわり
教育実習3日目が終わります。
夏休み前から関わってきて,それぞれの持ち味やキャラクターを生かしながら,しっかり前向きに取り組んでいる彼らの姿を見て,自分が20数年前ダメダメ実習生だったことを思い出し,恥ずかしい思いをしています。
(英語の)授業で大切にしたいこと,これはコアだ,というマクロなことについては,ぜひ若い教師の卵に伝えたい,と思い,共有できるようにします。
一方で,授業は授業者の(実際は学び手のものではありますが)ものです。
教育実習生であっても,授業者であることには変わりがなく,彼らのよさや特徴,大切にしたいことがあります。
その思いを大切にさせてあげたい,と強く思うのです。
思い出すのは,慕ってくれている学生さんが,宇都宮まで自分を訪ねてくれて話してくれたことです。
「教育実習に行ってつらかったことは,これまで毎回英授研に行って学んだり,大学で考えたり,SLAについて学んだり・・・自分なりに大事にしたいと思っていたことが否定されたことです。」
「型を示され,必ずそれに乗って授業をしなければならない。」
もちろん,普段の授業の流れを崩したくない,生徒たちとの約束事を壊したくない,素人の実習生に自由にできるわけがない・・・など,いろいろな要素があることでしょう。
本時の目標に向かって授業が組まれていくべきでもあります。
ただ,だからといって,すべて指導教官が上から「これだ!」と押しつけた授業をさせること(そんなことも必要なときもあるとは思いますが)だけで終わって良いとは思わないのです。
大切な実習で,自分の考えや思いを伝えても(その学生さんは本当によく学んでいる人なので・・・),ことごとく跳ね返され,聞いていただく余地がなかったような話を聞くと・・・
つらい気持ちになります。
まずは自分でよく悩み,よく考えさせて・・・
次にともに考え,ともに練り上げて・・・
最後はもう一度自分の中でしっかりと省みて・・・
そんなプロセスで実習生とともに学び合っていきたいと思います。
彼らに語りかけるために言語化をすることで,自分の実践について改めて見つめ直すことができます。
彼らに授業を見せることで,改めて自分が大事にしていることに気づくこともあります。
いやいや,彼らの若い柔軟な発想に驚かされ,「へー!」とうなってしまうことだってあります。
私は,いつまでもそんなしなやかな考え方ができるような自分でありたいなあ・・・(しなやか? 大丈夫か? 今の俺!?)と思っています。
実習生のみんな,一緒にがんばろうね!