授業とは何のための場か

f:id:takaenglishteacher:20131130171052j:plain 趣と伝統のある学校

 

今日は,広島で2つの授業を参観しました。

 

中学校2年,高校1年の授業です。

 

生徒たちが育っていく姿,つながりや関連が見られることを楽しみにしていました。

 

英語科の研究主題は,

 

「コミュニケーション能力の育成を目指して」

 -情報を的確に理解し,適切に伝える力の育成を目指して-

 

でした。

 

中学校2年の授業では,サブテーマの前半:

 

情報を的確に理解し

 

に焦点を当てて,

 

そして,高校1年生の授業では,サブテーマ全体:

 

情報を的確に理解し,適切に伝える力の育成を目指して

 

を通して,授業をしているのかな,と感じました。

 

 

中学校2年の授業では,教科書の本文を読み込み,英語の文章の構造(構成)を分析する,ということに挑戦をしていました。

 

少し先に位置づけられている修学旅行後のスピーチ(プレゼンテーション)を目標に,そこでのスピーチの構成がよりよいもの(伝えるべきことがしっかりと相手に伝わるような,論理的な構成になるように)となるように,教科書の本文を使いながら,その構成がどのようになっているのかを分析的に読むことを続けている,とのことでした。

 

中学校2年の段階で,どこまで分析的に読めればよいのか,という点については,授業後の質疑応答の中でも問われていましたが,その点はこれから,になるようです。

 

英語だけでなく,日本語でも,どんなことを実際に我々は発話をしているのかを考えると,

 

①トピックセンテンス:自分の考えや気持ち,事実などの表明

 

②サポートセンテンス:トピックセンテンスを支える文=描写

 

(結論)

 

どちらが割合として多いのでしょうか。

 

日本語なら・・・

 

①昨日テレビを見たよ。

②月9のドラマ。

 キムタクが出てるやつ。

 終わりのシーン,感動だった。

 キムタク,かっこいい。

 来週も見よう!

 

英語でも,

 

① I watched TV yesterday. 

② It was the drama from nine p.m.

  Kimura Takuya is the main cast.

  The last scene was so moving.

  He was so cool.

  I'll watch it again next week.

 

 

公開授業では,教科書の英文のこうした構造を四角で囲んだり,→で結んだりしながら,分析的に読んでいく作業を行っていました。

 

それが,先に待っている発信型のプロジェクト活動に連動する,というつながりをもったものにもなっていました。

 

冒頭のwarm upで,提示された例文のどこにストレスやポーズを置いて読むかをトレーニングしたので,分析したものに,教科書の読み取りから分かった筆者の思いなどを反映させ,感情を込めて音読することがゴールになっていました。

 

 

こういった学びの方法もあるのだ,という新しい発見をすることができました。

 

 高校1年の授業では,技能を統合的に使うことも含め,中学校の取り組みを受け,発展させるようなことに挑戦していました。

 

語彙の増強を目指し,既習の語彙を自分の英語で英訳したり,新出の語彙を,英英辞典のように,英語で示された意味を読んで理解したりしていました。

 

また,教科書本文の内容を理解するためにも,さまざまな手立てを用いた取り組みを行っていました。

 

また,復習の内容は,英語を用いてreproductionする取り組みも行っていました。

 

英語の授業は英語で,という流れにもしっかりと対応したものでした。

 

教科書を用いて学ぶ,教科書の内容理解を行う,という,どの学校でも必ず行う授業を公開していたことに大きな意味があると思います。

 

f:id:takaenglishteacher:20131130171037j:plain 事後研究会の前に

 

 

一方で,授業とは,どんな場なのか,何のための場なのか,ということに関しては,授業を見ながら,そして事後研究会で,いろいろと考えることがありました。

 

そう思うように至ったのは,

 

・授業を実際に受けている生徒たちの入り込み感がどうか

 

・先生と生徒が協同的に授業を創り上げているコラボ感がどうか

 

・先生と生徒が生きた英語を交わしていたかどうか

 

・生徒の英語を他の生徒が聞き合う,先生の英語を,生徒たちが入り込んで聞き合う時間がどれだけあったか

 

・先生が話す英語が,instructionやquestionだけでなく,生徒に話してほしい英語のモデルになっていたかどうか

 

・先生が問うことは,教科書の内容理解や,生徒の理解確認だけでなく,教科書の行間を読んだり,教科書の内容を読んで,生徒自身がどう考えたかなどを問う,referentialなものであったか(=生徒が何を考えているか,感じているか,に先生が興味・関心を持って,尋ねているか)

 

・授業を終えた瞬間の生徒たちの様子はどうだったか(達成感・充実感・研究授業に臨んだ先生との一体感)

 

 

本時だけを観察しただけでは見えないことがたくさんあります。

 

だからこそ,見えないことをたくさん知りたいと思います。

 

 

授業はときに,鍛錬の場であったり,深い思考の場であったり,生きたコミュニケーションの場であったり,様々な場であると思います。

 

1時間の単位では見えずに,単元を通して見ると,バランスが取れているものもあると思います。

 

鍛錬であれば,その鍛錬が何のために必要なのか,生徒が理解しているならば,必要感を感じ,入り込んで授業に臨むでしょう。

 

ただ,私が目指したいのは,1時間の中に,上に挙げたポイントについて,少しでも,その要素が見られ,生徒たちとの一体感が生まれるような授業です。

 

 

授業とは何のための場なのか,広島で,改めて考えることができました。

 

よいきっかけを与えてもらったことに,感謝しています。

 

f:id:takaenglishteacher:20131201004630j:plain 帰りに立ち寄りました

 

深く考えたい・・・