教科書を扱う授業をどう彩のあるものにしていくか
教科書の指導は・・・
コミュニケーション活動を行う際,言語材料が現実の場面でどのように使われるのか,ということと,中学生が自分との関わりを感じられるような必然性や必要感,自己関連性を大切にすることとを考えながら準備をします。
毎回うまくはまるわけではありませんが,子どもたちは比較的いきいきと活動し,学ぶことが多いと感じています。
一方,知的好奇心が旺盛な彼らなので,教科書の指導を,トレーニングだから,という理由だけで扱うと,学びへの意欲のともしびが一気に小さなものに変わっていくのが,体感されるのです。
プログラムごとに,そして,セクションごとに,彼らが「おお!」と引き込まれていくような設定を・・・と思いつつ,授業をしてみると,それがなかなかうまくいかないことも多くなります。
音読や単語練習のときの表情や声のトーン,ボリュームにそれが顕著に表れます。
みなさんはどうですか?
教科書の授業,彩あるものになっているでしょうか。
そもそも,基本文の宝庫である教科書だから,トレーニング,ということで,子どもたちと共通理解ができている,だから大丈夫です・・・
のような感想を持たれますか?
指導書を読み込み,題材が取り上げられた背景や,題材そのものの魅力を,指導をする自分自身が感じ,いきいきとして授業に臨めば・・・ということなのでしょうか。
そう考えると,うまくいかないことが多くても,毎時間勝負をかけて授業に臨んでいることだけは間違いないのかもしれませんが・・・。
引退まで,悩み続けるのでしょうね・・・
損な性格ですね・・・