なぜ挙手が少ないのか を考えてみた

修論指導のゼミを終えて図書館へ戻ってきました。大事なヒントをもらって、また執筆に戻ります。

 

自分が知りたいことは:

 

the way to improve students' active participation and interactions

 

であるわけなのですが、何をもって?と言われたら、

 

教師と生徒のインタラクション(対話)が継続している

 

ということと、

 

指名され、インタラクションをしている生徒以外の生徒(聞き手)が、自然にインタラクションに関与してくること

 

の2つをもって判断するだろうな、ということです。

 

実際の教室で録画をしてきた授業、そして、それを一言一句すべてtranscribeしたものを、どう吟味し、分析するか、がいよいよ明らかになってきた感じです。

 

さあ、書くぞ!

 

 

 

 

 

 

 

と思いつつ、就学支援課に行き、専修免許状公布の申請の仕方を聞いてきたら、集中がとぎれてしまいました。

 

そんなときは、例によって読書・・・ 心を鎮める・・・

 

 

 

教師の資質 できる教師とダメ教師は何が違うのか? (朝日新書)

教師の資質 できる教師とダメ教師は何が違うのか? (朝日新書)

 

 

このところ、何度も登場しているこの本ですが、あとほんの少しで読み終わるところまで来ました。この本の中にあった記述で・・・

 

「先生が質問して、子どもたちが「はい」と手を挙げる、教師主導型の授業は減った」

 

さてさて、かつて、授業というものは、知識・技能をただひたすらに覚える、という知識教授・伝達型でした。

 

覚えているか、わかったか、を問われれば、生徒たちは取り組みやすさもあり、手が上がります。

 

自分が昨年訪問した教室では、手がたくさん挙がるところもありました。

 

ただ、考えてみれば、知識を問う、closed questionsが多く投げかけられていたと思うのです。

 

 

自分の授業で、何を子どもたちに問うているのだろう。

 

 

PISA型の、のような仰々しいことはないし、深いことを聞くには、英語の力がまだまだ拙い部分がある子どもたちなので、すごいことは聞いていませんが、

 

What do you think of 〜? / Why?

 

が基本なのかな、と思います。

 

自分の考え・気持ちを聞かれれば、すぐに手を挙げる、というのは難しいことになりますね。

 

むしろ、考える間の沈黙があってしかり、でしょう。

 

写真を提示すれば、挙手はなくとも、さまざまな反応があり、つぶやき(ときには大声で)が起こります。

 

そうか・・・

 

挙手がないことを少し気にしていましたが、それはそれでいいのだ、と思えた気がします。

 

 

挙手がなくとも、意図的な指名(くじなどは使わない)を次々として、いろいろな子どもたちの意見を吸い上げ、それらをつなげながら授業をしているので、その方向性は間違っていないな、と思えるようになりました。

 

 

さあ、一気に思ったことを綴ったぞ!

 

 

さあ、執筆に戻ろうか!

 

 

みなさんの授業では、子どもたちは手を挙げますか?