なぜ挙手が少ないのか を考えてみた
修論指導のゼミを終えて図書館へ戻ってきました。大事なヒントをもらって、また執筆に戻ります。
自分が知りたいことは:
the way to improve students' active participation and interactions
であるわけなのですが、何をもって?と言われたら、
教師と生徒のインタラクション(対話)が継続している
ということと、
指名され、インタラクションをしている生徒以外の生徒(聞き手)が、自然にインタラクションに関与してくること
の2つをもって判断するだろうな、ということです。
実際の教室で録画をしてきた授業、そして、それを一言一句すべてtranscribeしたものを、どう吟味し、分析するか、がいよいよ明らかになってきた感じです。
さあ、書くぞ!
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と思いつつ、就学支援課に行き、専修免許状公布の申請の仕方を聞いてきたら、集中がとぎれてしまいました。
そんなときは、例によって読書・・・ 心を鎮める・・・
教師の資質 できる教師とダメ教師は何が違うのか? (朝日新書)
- 作者: 諸富祥彦
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2013/08/09
- メディア: 新書
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このところ、何度も登場しているこの本ですが、あとほんの少しで読み終わるところまで来ました。この本の中にあった記述で・・・
「先生が質問して、子どもたちが「はい」と手を挙げる、教師主導型の授業は減った」
さてさて、かつて、授業というものは、知識・技能をただひたすらに覚える、という知識教授・伝達型でした。
覚えているか、わかったか、を問われれば、生徒たちは取り組みやすさもあり、手が上がります。
自分が昨年訪問した教室では、手がたくさん挙がるところもありました。
ただ、考えてみれば、知識を問う、closed questionsが多く投げかけられていたと思うのです。
自分の授業で、何を子どもたちに問うているのだろう。
PISA型の、のような仰々しいことはないし、深いことを聞くには、英語の力がまだまだ拙い部分がある子どもたちなので、すごいことは聞いていませんが、
What do you think of 〜? / Why?
が基本なのかな、と思います。
自分の考え・気持ちを聞かれれば、すぐに手を挙げる、というのは難しいことになりますね。
むしろ、考える間の沈黙があってしかり、でしょう。
写真を提示すれば、挙手はなくとも、さまざまな反応があり、つぶやき(ときには大声で)が起こります。
そうか・・・
挙手がないことを少し気にしていましたが、それはそれでいいのだ、と思えた気がします。
挙手がなくとも、意図的な指名(くじなどは使わない)を次々として、いろいろな子どもたちの意見を吸い上げ、それらをつなげながら授業をしているので、その方向性は間違っていないな、と思えるようになりました。
さあ、一気に思ったことを綴ったぞ!
さあ、執筆に戻ろうか!
みなさんの授業では、子どもたちは手を挙げますか?