どんなときも
10月は鬼のような忙しさ・・・
学年では体調不良で時間休暇を取る担任が出てきました。
講師の若い先生は少し前に実験器具で手を切る怪我をしました。
じわじわと、疲労が目に見える形で出てきている感じがします。
教師の働き方改革について国の文書が届きましたが、マスコミで問題が顕在化して、ようやく動き始めた感が否めません。
つくばの研修のときにお世話になった文科省の方の温かさ、そして、現場を思う愛情、子どもたちのために、というミッション意識、どれをとっても尊敬できるものだったことを思えば、国の動きについて一括りにしてとやかく言うことはできません。
しかし、これだけ過酷な環境にあることは、ずっとずっと前から変わらないのに・・・
そんな切ない思いが込み上げてきます。
勤務状況調査を行う、と言うことになって、その手間が、さらに自分たちの時間を奪うことになります。一体何のための調査なのでしょう。
数字でしか動けない、ということなのでしょうか。エビデンスが大事なのはわかりますが、結局は末端にいる私たちが踊らされている感じがします。
調べた上で、目に見える改善がなされるなら報われる感じもしますが、あまり期待できないことは今から分かっている、そんな感じさえします。
だって、人的配置を大幅改善したり、予算をたくさん投下してくれたりするわけではないのですから。
本当の意味で学校をスリム化するなら、世の中自体が全速力で走り続けているような、今そのものを変えないと、どうにもならない気さえします。
教育の質が低下しているとか、教育再生とか、スローガンやキャッチフレーズばかりが先走っている中、過酷な環境でギリギリの頑張りをし、学校を支えているのは教師なんだ、ということを声を大にして言いたいです。
出勤・退勤時間を3月まで毎日記録しなさい、という朝の打ち合わせでの突然の話に、ちょっと待った、と発言をしてしまい、少し後悔しつつも、そんな思いが募ってきます。
誰のために?
*
今日、学年の会議では、どんなときも、「逆サイドからのものの見方をすること」、4月にみんなで決めたことを2年半後、子どもたちが卒業するまで忘れないで行こう、と改めて話しました。
忙しさでいっぱいいっぱいになって、イライラしてくると、ついつい、トップダウンでものを言ってしまうからです。
保護者の方々に対してもそうです。
自分にとってかけがえのない、唯一の存在として我が子を見つめている、そうなると、近視眼的になることもありますよね。
それでもそこに寄り添って、共に悩み、共に考える存在でありたい、そう思うからです。
正直、私自身も疲労で1日を乗り切るのが精一杯です。
毎朝、今日こそは休んでしまおう・・・と思う日々です。
授業の準備もギリギリで、十分練れていないかもしれない・・・と思う中で1時間1時間をこなしています。
でも、どんなときも、子どもたちを真ん中に置いて、ということを忘れないでいたい・・・
自分にもそう言い聞かせています。