送別の集い

1日、勤務校で3年生に感謝の想いを伝える、送別の集いがありました。

 

今回、送別会の委員会を動かす、教員側の長を務めることになり、秋からずっと準備を整えてきました。

 

3年生に最高の感動を届けたい、感謝の気持ちを伝えたい、という後輩の願いを形にして表せるように、子どもたち主体のイベント創りを進めました。

 

若い頃は、なぜだかいつもギラついていて、自分の学年が最高だ!とばかり、何かにつけて見えない対抗心を燃やしていた、素直に他を認めることができなかった自分を思い出しますが、今は、どの学年も、それぞれのよさを発揮していることを受け止め、認め、讃えることができます。

 

人としての自分の変容も、こうした行事への関わりから感じることができますね。

今もろくなもんじゃないけれど、昔はさらにひどかったのだなあと、しみじみ思います。

 

子どもたちと言えば、大きな行事を動かすのが初めての2年生、最初は何をするにもドキドキで、あたふたしている姿が見えました。

 

委員会を開く前にリーダーたちと下準備をし、彼らの気づきを引き出して、自分たちで進むべき方向を見出せるように工夫しました。

 

例えば、委員会の中で、後輩たちを惑わさないために、どんなことを準備しておけばいいか、尋ねることです。

 

関係者にはどんな人がいるのか、事前に断りを入れ、物の貸し借りなどの承諾を得ておくことなども、対話の中で気づけるようにしました。

 

できないから、やらせない、のではなく、

 

じれったいから、待たないのでもなく、

 

信じて、やらせてみるのです。

 

 

ちょっと話が変わるかもしれませんが、アクティブラーニングについて絡めて考えてみます。

ペアやグループになって話させればいい、活動させればいい、というような様子も散見します。

また、方向を定めて、そこに進むように子どもたちを仕込む、ようなこともあるように感じます。

そのための指導法を流布するセミナーも盛んで、こうすればこうなる、ような、あまりにも簡単な方法をコンビニのように求める人たちもいるように思います。

 

 

でも、子どもたちは、自分の心が動いて、自分で試行錯誤して、失敗しながら学ぶものじゃないでしょうか。

 

こちらの想いも大事だし、願いも大事、でも、それだけではダメだと思うのです。

 

 彼らと想いを交流させ、互いに関わりながら一つのことを創っていく、その中で、先生自身も彼らの発想から学んでいく、そんな営みこそがだいじなのではないでしょうか。

そう、強く思います。

 

 

話を送別の集いに戻しますが、いつも先輩に送っている3年間を振り返るビデオの前に、後輩からのサプライズメッセージを、クラスごとに取り入れたり、進行の原稿を、自分たちなりのことばに書き換えたり、彼らの発想から、会の流れが豊かになり、彩のあるものになっていったことこそが、アクティブラーニングなのでは、と強く感じました。

在り方、生き方を学ぶ、のです。

 

リーダーたちも、リハーサルの前にはおどおどだったものが、リハーサルでは凛々しい顔つきになり、本番では笑顔まで出て仕事を進めていました。

 

私自身、本番では全くと言っていいほど、口出しすることはありませんでした。

 

 

自分たちの仕切りだけで目一杯にならないこと、さまざまな場面で、主役の3年生たちの表情、つぶやきを見るように伝えました。

 

それを見て、初めて、こちらの想いや願いが届いたかが分かるからです。

これって、意外と子どもたちに伝えていないのではないでしょうか?

 

3年生が笑顔になったり、これまでを懐かしむような、何とも言えない表情になったりするのを見て、後輩たちも嬉しくなっていました。

 

これこそ、達成感や充実感、成就感なのではないでしょうか。

 

 

そんな姿から、私自身も感動をもらい、子どもたちと協同的にものごとを進めることの大切さを気づかされ、学ばされたなって思います。

 

 

3年生、これまで、本当にありがとう!

 

みんなの想い、届きましたか?