ちょっとだけでも立ち止まって考えてみよう①
昨年末の12月21日、中教審から答申が出されました。次の学習指導要領がもうすぐ出されることになりそうですが、その骨格をなすものになります。
私たち教師は日々息をつく暇もないほど忙しく、自分が日々行っている授業を通して、子どもたちに何を教えているのか、いや、何を教えていくべきか、いやいや、ここしばらくの間、私が思っているように、子どもたちとともに、何を学んでいくべきか、ということを考えることがあまりないかもしれません。
これは、教師批判をしている、ということではなく、どの先生もものすごく一生懸命だし、子ども一人一人がわかる、できる、と思えるような授業をしようと日々努力していることは間違いありません。
ただ、今回の答申で示されているようなことを考えることは普段ほとんどないかもしれません。
一生懸命授業をし、日々取り組んでいることが、果たして、子どもたちが今後直面していくことに対応していくために、必要なものなのかどうか・・・
また、適切なのかどうか・・・省察することも大切なのではないかと思います。
以前の投稿で:
takaenglishteacher.hatenablog.com
文科省や国が根拠としていることが、果たして全て○、かどうか、という問題はあります。
でも、不確定な未来、予測不可能な事象、周囲との協働、など、大事になる、ということは言えると思います。
英語の授業で言えば、どの子も、習ったことをちゃんと身に付ける、ということで一生懸命になると、先生も子どもも、ついつい近視眼的、つまり、目の前のことだけ、でいっぱいになってしまうような気がします。
知識を身に付ける、ということだけが求められる、素直にただ上の人の言うことを聞いている、と言うことではもう世の中渡っていけないのです。
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
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ここでも紹介したように、平田さんのような劇作家、教師以外の人が、海外に出てみて、私たちのコミュニケーションのスタイルが、世界に出てスタンダードではない、ことを実体験から述べています。
身に付けたことを使って、自分の考えや気持ちを相手に分かってもらえるように伝える、相手の意図を理解する、と言うことが求められるのです。
ひたすら説明、ひたすら練習・・・
それが何に向かっているのか、教師も生徒もよく分かっていない・・・
そんなところから脱却していかないと・・・
大げさかもしれませんが、「哲学」にも通じることかもしれません。
時間を生み出してほしい、楽にしてほしい、一息つく暇を与えてほしい・・・とお上に求めても、制度的な改革はいつになったら実現するかは分かりません。
自分たちがちょっとでも立ち止まり、考えてみること、criticalに考えていかないと・・・
偉そうですが、そんなふうに思っています。
一人では大変です。
一緒に語りませんか?