正確さと流暢さ
大修館の英語教育10月号では,正確さと流暢さについての特集が組まれていました。
上智大学の和泉先生に始まり,私の指導教官も含め,たくさんの先生方が,それぞれの専門領域から正確さと流暢さについて論じています。
日ごろ接して,お話をよく聞いているから,もありますが,指導教官の原稿には,本当に納得し,同意できると感じています。
師は,教室で話される英語が,どのような色を持っているのか,言い換えれば,音の高低や,速度,やわらかさなどの大切さを論じています。
限られた言語資源しか持たない中学生だからこそ,拙い語彙や文法知識でも,表情や声色を抱き合わせることによって,言葉の内面に,意味を持たせることができると思います。
生徒たちが生き生きとした英語を使ってコミュニケーションし合えるような状況を,こうした音の持つ彩の面からも考えているところです。
また,和泉先生もおっしゃっていますが,正確さが確保されるまでには,本当に長い長い時間がかかると思います。
トレーニングは否定しませんし,生徒に自分のinterlanguageをメタ的に捉えさせ,できること,できないことのgapに気づかせることも大切だと思っています。
しかし,同時に,自分が伝えたいことを伝える,知りたいことを聴いたり,読んだりすることを同じくらい大切にしたいと思っています。
たくさんの授業を参観するにつけ,どうしてもトレーニング的な要素が強く現れる授業が多いように感じますし,そうした流れがmajorityになっているので,こうした声に賛同していただけるかどうか,分かりませんが,私はそれが大切なんだ,と思っています。
正確さと流暢さ,のどちらが重要?
のような不毛な議論ではなく,「コミュニケーション」って何? という本質から考えてみたいなと思っています。
それが見えると,子どもたちにどう教えるか,もおのずと見えてくる気がします。