研究・実践を共有することの難しさ 

f:id:takaenglishteacher:20150821164959j:plain ひまわりも下を向く!?

 

研修講師としてのお務めが、一見成功してばかり、で終わらなかったことに、感謝をしなければなりません。

 

最後の1回も、自分が気持ちよく話し終えていたとしたら、こんなことを考えることもなかったと思います。

 

 

今回、改めて思ったことは、至極当たり前のことでした。

 

「自分の研究・実践を他と共有することは容易いことではない」

 

短くて90分、長くても3時間、与えられた時間の中で、自分が日頃行っていることを紹介したり、参加者に体験していただいたり、様々な形で共有をしようと、準備段階から毎回試行錯誤をします。

 

しかし、自分がイメージしていることの全体像を示しつつ、その中で、テーマに迫るポイントをミクロな、具体的な形で分かってもらうのは、本当に難しいです。

 

参加してくる方々の顔ぶれや、モチベーションによるところも大きいと思います。

 

ELECや、神田外語学院の研修の場合、参加費を支払って手弁当で学びに来ている方々に向かって話します。

 

当然、高いモチベーションと志をもって研修に参加をしているので、一体感を作りやすい(しかし、こちらの提案内容が拙いと、大きなしっぺ返しをいただくことにもなりますが・・・)のです。

 

一方で、行政主催の研修会の場合、参加する一人一人が、本当に心が動かされて参加をしているとは必ずしも言えません。

 

また、授業を改善しよう、よいものに出会えれば、自分が積み上げて来たことを見直し、変えてもいい、と思っていないこともあるでしょう。

 

 

さらには、話し手である自分が、初めて訪問する場所、初めて出会う人・・・そんな条件の下に話をするとしたら・・・ 共感的なムードを生み出すのは簡単ではありません。

 

 

資料を豊富に準備し、文字数を少なく、チャートや図などを入れて、振り返ったときにでも中身を思い返せるようにしています。

 

しかし、私の前日に同じ地区で研修を担当した太田洋先生のレジュメは本当にシンプルで、箇条書きのようにまとめられているだけでした。

 

対話をしながら進めていく、時間の制約を考えて、あらかじめ絞り込んだ内容を準備しておく、参加者が能動的に話ができる時間をできるだけ長く取る、などの工夫が、その資料から感じられました。

 

私の資料準備の手法とは反対のように見えます。

 

双方あってよい、と思いますが、年間何十本も講師としてのお務めをされている、太田先生の残したレジュメ1枚から、そんなことを考えました。

 

そうかあ・・・参加者主体なんだなあ・・・

 

参加者の中にあるものを引き出しておられるのだなあ・・・

 

 

いずれにしても,自分が参加者の方に提案すること,共有したいことが,

 

そんなもん、絵に描いた餅だ」

 

と思われないように、次の機会で一歩前進できたと実感できるような講座にしたいと思います。

 

 

もう一度やり直したい・・・

(毎回そう思うのですが・・・)

 

次の機会に,参加者の方と協同的に学び合い,創り上げるような時間をプロデュースできるようになりたい・・・

 

 

日々是前進也!