(必読)授業改善の道は果てしなく続く
研究主任としての業務2年目が終わります。
22日の研究の会議を控え,研究要項総論の骨子を執筆しました。
書き終えて,尊敬している大学のアドバイザーのM先生にも送らせていただいたところ,感動してしまう返信が返ってきました。
そのメールの中に書かれていたことです。
教師からの予想の姿や手立てを子どもが軽々と乗り越えてしまうと言うところは実に重要で,その時にリアルタイムでどう対応できるかが真の授業力ですが,それは,授業研究を繰り返して体得していく「修行」の連続によってしか得ることができないというのが私の考えです。
文字化されたものを読んで分かるというようなレベルでは対応できないのです。ここが皆さんにちゃんと伝わればいいなと思っております。
教師用の本にも,コピーしてすぐ使えます,こうすればこうなる,というようなHow toものが花盛りです。
自分が拙著を出したときにも,売れるようにするには・・・という視点で編集の方からお話をされたのをよく覚えています。
最初に刊行されたのは10年弱前,になりますが,そのときは,本を出す,ということで精一杯で,本質的なことまで気持ちが向いていませんでした。
児童・生徒は1人1人違った,ユニークで大切な存在です。
学ぶ,とは,子どもの側にあることです。
こう教えればこうなる,というようなものではないと思います。
研修講師を一緒に担当する方の中にも,こうすればこうなる,と話す方もいます。
そういった側面もあると思いますが,果たしてそれだけなのかな・・・と思うのです。
ある方はマネジメント,ということばをよく使います。
生徒の学びを管理する,のかな・・・
授業規律や約束事を守る,ということは大切なことだとは思いますが,どうなのでしょう・・・
知識を注入する,覚えさせる,ということは,私たち教師が知っていることを子どもたちに伝達することです。
たくさんの方が言われていることではありますが,そうした指導観だけでは,教師の存在を超える子どもは育ちませんね・・・
M先生のことばには,そうしたことへの警鐘が含まれていると思います。
今度の研究発表会も,こうすればこうなりますよ!という教師にとってのコンビニ,のようなものにはならないと思うのです。
そうした即効性のあることを取り扱って,集客につなげる・・・
そんな文化が育たないように・・・
微力で,周りには影響を与えることなんてできないけれど,自分自身ではせめて,真摯に授業改善に向き合っていきたい・・・そう思います。
自分自身が教科の目指すことの本質をつかもうと努力し続けているか,
(できるかできないか,ではなく,つかもうとしようとしているか)
この春,自分自身に問いかけていきたいです。